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カナダ放浪記#26 最終章〜帰国〜

2002年の春から秋にかけてボクはCANADAのトロントへ行ってきました。
それはスリルと興奮の連続の冒険をしているようでした。
ここでは、そんなカナダの旅を少しずつ書いていこうと思います。
目次

最終回 帰国

帰国まで1週間となった日、ボクはスティーブに会うため出掛けました。到着するとまもなくスティーブと合流して食事をしたのですが、そのお店のコーンビーフ・バーガーときたら・・・ 溢れんばかりに挟まっていて全部は食べられませんでした。スティーブ曰く「これが本当のハンバーガーだ!」そうな・・・スティーブのテンションの高さには毎度のことながら、こちらまで笑顔にさせてくれます。 いつまでも「ヘィ・シナブ!」って最後まで名前をしっかり言えなかったけれどね。

食事を済ませるとスティーブの自宅へ。途中、スティーブ自身が経営する音楽教室「yellow dog music school」に立ち寄りました。こんな教室が出来たらいいなぁと思わせる場所でした。ロビーには大勢の子供達が満面の笑みを浮かべている写真があって、通路を進むと3,4畳のレッスンルームが3つほど、 ピアノがあったり、ギターがあったり、一番奥にはスティーブの仕事部屋がありました。 アップで映っているのは愛猫・・・・スティーブは猫好きだそうな(じゃ、なんでyellow dogなんだろう?) 一通り案内してもらうと、スティーブの自宅へ。土足厳禁だそうな・・・・珍しい。カナダはどこもそうですが、スティーブ宅も自然が一杯。ちょっとした庭もあって、猫が歩き回っています。 どこか日本を思い出すその庭はアーティストである奥さんが絵を書くときに使用する場所&喫煙スペースでした! 静かな場所でした。

2Fに上がるとグランドピアノがドン!・・・・流石だ。早速ギターを出してチューニングを始めると スティーブがバックで「Have you met miss.Jone?」の伴奏だけを弾き始めた。一番最初に一緒にやった曲だから覚えていたのでしょう。途中から入っていき、またしてもDUO!すると奥さんが2Fから降りてきてご挨拶。スティーブより背が高く、スラッとしていてモデルさんみたいだった。 何曲か一緒に演奏をして、私のオリジナルなんかも弾いたりして、あっという間に時間がたちました。スティーブは朝から娘を「ガールスカウト?・・・キャンプに送っていったから眠い」と言いつつも駅まで送ってくれました。「今度は東京で!」そう言ってスティーブと別れました。

次はロンにもお別れの挨拶をしないと・・・・その前にブライアンとポーリングがボクのためにパーティーを開いてくれるというので ブライアン宅へ、今回も凄い贅沢料理が沢山並んでいましたが前回のパーティーよりも日本人が少なく、ほとんどが韓国人。またリーもどこかあまり長居したくないという感じだったので食事が終わるとすぐ席をたちました。この頃になるとリーは本当に誰にも心を開かなくなりました。ただただ、毎日ボーっとして夜な夜な帰国してしまった彼女への日記を綴っていました。 きっと、ここが日本だったら、いやボクに少しでもゆとりがあれば「へぃ、リー、一杯飲みに行こうぜ!」なんて言えたのに・・・。 その頃のボクときたら

やまだ
「てやんでぇ!何しに遠く離れたトロントに来てるんだ!」

と内心思っていました。リーと別れるとボクは地下鉄に乗り込みGATE403へ向かいました。今日もここでセッションがありロンがホストをしています。途中、小さな公園がありボクは何故かちょっぴり立ち止まってみたくなりました。思えば「初めてこの地に降り立った時も、こうして公園のベンチで座っていたなぁ」って。 日本ではほとんど見上げない空も、ここトロントではよく見ました。ふと周りの家を見渡せば、老夫婦が玄関前のテーブルでビールを飲みながらのんびりとした時間をくつろいでいました。 「あぁ、なんかいいなぁ」・・・・今、自分が憧れる世界へ居るのだと再認識しました。

どれくらいたったでしょう。2,30分はそこに座っていたかも知れません。ふと気付けば回りは段々暗くなってきました。 「急がねば!」と腰を上げGATE403へ。到着するとロンが駆け寄ってきました。「今日はギターは持っていないのかい?」って。 パーティーがあったことを告げ、色々と人を紹介されました。物凄い巨漢のボーカリストのおっさんが居てロンがボクのことを「GREAT GUITARIST」と何度も言うので おっさんは少し下を向きサングラスの上から大きな大きな、今にも飛び出しそうな目を向けて「弾いてみてくれ」としつこい・・・。 良いギターがあれば弾こうと思っていましたが、あいにくギタリストは1人。しかも弦高が高そうなアコギだったため、この日は弾くのをやめました。 ロンはウォーキングが好きなので演奏が終わると、近所までタクシーで行き、そこからは少し話しながら歩きました。Ed Bickertと会えなかったこと、スティーブのこと。すぐに帰国してしまうこと。日本でどうするかということ。今まで聴いた音楽、アーティストのこと。トロントでの生活のこと。沢山歩いて、沢山話して、ロンと別れました。ロンは「必ずまた会おう、日本かトロントか・・・・そんなことは誰もわからないけれど」と・・・。

残り数日となり、昼間はサイバーカフェに行って、東京で泊めてくれる場所を確保する為に色々な知人に連絡しつつ、お土産を買いに忙しく走りまわりました。東京に戻ってもステイする場所がないのはかなり不安でしたが、まぁなんとかなるだろう!と思っていましたし、 ボクのトロントでの生活レベルは浮浪者と大差ありませんでした。寝る場所はあったけどね。お土産に何を買うか?とにかく悩みました。メープルクッキーにアイスワインは外せない・・・・他はコレといったものがないのでカナダのタバコ(トータルで一番高かったかも知れない) まぁ、小物は沢山買いましたし、あとCDも結構買いました。不思議とこの時Ed BickertのCDはあまり買いませんでした。別に会ってくれなかったからという訳ではありませんが・・・・。 家で荷造りをしていると困ったことに鞄に入りきらない・・・・ということで中華街へ行き安いトランクを買ってなんとか詰め込みました。 とは言ってもギターに大型リュック+トランクですから、帰るときもやっぱりコンパクトです。だって多くしたら住む場所のない東京でどうやって動くっていうのさ!ね。

さて、パトリックにも最後に会います。ボクのカナダで一番の恩人。パトリックがあの時公園で声をかけてくれなかったら、きっとボクはもっと早く日本に帰っていたでしょう。しかし、パトリックは精神的にボロボロで、おまけに数日前に背中を痛めてしまいフィニックスの散歩すらままならない様子。マンションに着くと相変わらずフィニックスはおおはしゃぎ。「何度見ても巨大な犬ですが、こいつは素直でいいなぁ。」パトリックは歩くのもかなり遅いので肩を貸してあげ、近くのタイ料理屋で食事をしました。パトリックとは本当にいつもいつも一緒に遊んでいたので いつも通りの変わらない食事になってしまいました。

最後にパトリックの部屋で一緒に録音した音源を聴きました。「一緒にライブしたかったなぁ」 そう言うパトリックはやはり寂しげでした。「尾鷲からの贈り物」が流れると「俺はこの曲を聴くといつも昔、子供だった頃の風景を思い出すんだ」って。 黒人で、年齢も全然違うし、音楽の趣味も、生活習慣も全く違うけれど、でもカナダではパトリックが一番の友達でした。あ、あとフィニックスもね。お別れを言い、今まで出会った沢山のパトリックの友人達にもお礼を伝えてもらえるようお願いしました。 最後にパトリックはこう言いました。「次は絶対に日本へ行って、日本人の女の子と結婚するんだ!」って・・・・

やまだ
はいはい^^元気そうで何より。

あんまり落ち込んでいないようで、復活の兆しが見えてボクはかなり安心できました。

さて、帰国は明日。この1週間は実は沢山の方に会いました。本当に書ききれません。一つ一つの出会いがあったからこそボクは半年間カナダに滞在することが出来ました。フライトの時間が朝早い為、前の晩はリーと一緒に徹夜しました。勿論お酒なしでね。風が強く嫌な天候でしたがリーとの生活もこれで最後ですからね。TVをつけながら、今までのこと、タカのこと、今後のこと・・・話はつきませんでした。まだ暗いうちにボクは出ることにしました。何があるか分かりませんからね。なんと、リーも一緒に空港へきてくれるとのことで非常に助かりました。ほんと最後まで良い奴なんだから、リーは。

暗い中、タクシーに乗り、シャトルバスのバス停まで行きました。まだまだ暗いトロントの街は、少し寒くなってきていて、どこか初めてトロントに着いた時の印象と同じような表情に見えました。無事に空港に着くと時間があるのでリーとコーヒーを飲むことに。もう昨夜からずっと話しているので話すこともほとんどありません。コーヒーをあまり飲まないリーは砂糖やミルクを入れまくって静かにしていました。チェックインをする間もリーはずっとボクの方を見ていました。チェックインももう英語には全く心配はありませんでした。シカゴを経由して成田まで、難なくすませるつもりが・・・バックを1つ増やしたおかげで追加料金を取られてしまいました・・・・悔しい。 ほとんどがお土産なのに・・・。

すると、となりのカウンターでは日本人の女の子が飛行機の席のこと職員と言い合ってました。

女の子:「窓際じゃない方がいいの」職員:「承知致しました。通路側ですね」
女の子:「だから窓じゃない方」職員:「・・・・・つまり通路側ですね」
女の子:「窓、違う」職員:「・・・通路ではないのですか?」
女の子:「私は窓際ではない方がいいの」職員:「・・・・やはり通路ですね」

と職員が困り果てていました。ボクも最初は何がどうなっているのかサッパリだったのですが、しばらく聞いていると女の子が通路という単語を聞き取れていない、もしくは知らないんだと思い、教えてあげました。すると職員は嬉しそうに「良かった、日本語で通路はなんて言うんだい?」「ツーロ?それは簡単だ!覚えとくよ」って。半年あれば、サンドウィッチも頼めない程英語力が無い人がこれだけになるんですから、これから行かれる予定の方は多いに自信を持って下さい。きっと、ボクほど喋れないで海外に長期行く人は珍しいでしょうから。

その間もリーはずっと待っていたので、チェックインを済ませ、リーのもとへ。「本当にどうもありがとう、頑張れよ」抱き合って別れました。

たった半年間という短い滞在でしたが、楽しかった時もあり、苦しい時もあり、日本人でも、カナダ人でも、韓国人でも、ここトロントでの一つ一つの出会いが記憶に残っています。偶然にも出会うことが出来た一人一人からボクは色々なことを学ぶことが出来ました。最初は「こんな街で本当にやっていけるか?」と思っていたけれど、「自分はこうしたい」という強い気持ちを持って前向きに行動すれば、きっと良い方向に向かっていく。勿論、努力は怠らないこと。誘惑は沢山あるけれど自分が何をしているのかしっかり考えること。これから夢に向かって出発する人をボクは応援したいです。

リーと別れて色々思い出してボクは思った。出来ることなら、この街にもっと居たい。限られた資金とずさんな計画、「Ed Bickertに会いたい」・・・ 本当にただそれだけで行ったカナダだけど、ボクはこの街が好きになっていました。この街も、この街に住む人々も、この街で頑張る日本人も。

「ありがとう、トロント。また、遊びに来るよ」

最後まで読んで頂きありがとうございました。日記があるわけでもなく、全て記憶を頼りに思い出しながら書きました。 その為、書き切れなかったことも沢山あります。「あっ、こんなこともあったっけ」と再び思い出すことが多く私自身にとっても良い記録になりました。今後、こういった無茶をする機会(ある意味ね)が得られるかどうか分かりませんが、トロントに居たときのような常にポジティブな考えを持って頑張っていきたいと思います。

帰国後1年間、私はトロントでの生活以上に苦しい時期を東京で過ごしました。帰国直後は70キロにまで増えていた体重(あまり食べていないのに不思議だった)も すぐに50キロ台まで下がりました。その後の東京で、半年という長い間、数回しか会ったことのないボクを泊めてくれて、助けて頂いたNさんに心から「ありがとう」と言いたい。

どんなに偉そうにして、どんなに強がりを言っても、やっぱり一人じゃ生きていけないんだと思った。だからボクはこのギターの音に乗せて、この音が届く限りの人へ言葉より優しい「ありがとう」を伝えられたらと思います。

そして翌年、ボクはカナダの地に居ました。Ed Bickertは奥さんを亡くしてから、しばらく落ち込んでいたそうですが、ボクの沢山のカナダの友達が、ボクのために「Ed Bickert」と会う機会を作ってくれたんです。憧れの人と出会えて、沢山の質問をしたけれど、ギターのことは答えてくれませんでした。でも、憧れの人の目の前で、憧れの人のギター(テレキャスター)を弾きました。そして「キミはCDを出していないの?」と褒めてもらえました。もうこれだけで十分です。

「Things are easier without a guitar」

最後に、Ed Bickert引退時の言葉をそのまま記載しました。共にした奥様を想い、またギターに捧げた人生を想いこの言葉から受け取れるエドの心を考えると涙が溢れてきます。素晴らしい音楽をありがとう!エド。

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