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カナダ放浪記#11 〜これだよこれ!この生活!〜

2002年の春から秋にかけてボクはCANADAのトロントへ行ってきました。
それはスリルと興奮の連続の冒険をしているようでした。
ここでは、そんなカナダの旅を少しずつ書いていこうと思います。
目次

これだよこれ!この生活!

パトリックは朝から夕方まではWEB関係のパソコンをしているらしく、ボクとパトリックは毎回「じゃぁ、明日は18時で。チャオ!」なんて言って別れるのが日課になっていました。 パトリックは大抵はボクをユース近くの場所まで見送ってくれました。(って言っても100mです)パトリックと別れるのはいつも22時頃(それ以上は眠いらしい<笑>)・・・そこからボクはタカと過ごしました。

この頃からでしょうか・・・・毎夜毎夜悩まされるようになったのは・・・。

ボクは昼間も苦しみ、夜も苦しんでいました。(早く言えって?)そう・・ この頃から、夢の中に英語が出てくるようになったのです。いえ、出てくるだけなら良いんです。それを理解しようとして夢の中でも悩み始めたのです。しかし、苦しい日々なんですが、 日毎に英語がクリアに聞えてくる感じがしました。音にならない「~sh」とか「th~」の音が少しずつ聞き取れてきました。それは結構感動だったんですが、音が聞き取れても単語が分らない状態がしばらく続きました。

さてさて、今日はパトリックがレッスンに行く日(ほら、やっぱりプロじゃなかった)であり、是非師匠に紹介したいと言われたので一緒に行くことに。(本当はEd Bickertの情報が入るかも知れないよって言われた<つられた?>)地下駐車場に向かい(金持ちパトリックは車も持っている)・・シャトルバス以来の右側通行体験です。やはり事故ってしまいそうな感覚に陥ります(ボクだけかな?)。すると「おいおい」・・・・ パトリックは信号が赤なのに右折し始めたではありませんか・・・。ボクは仰天しました・・・。詳しく聞くと、どうやら安全であれば赤信号でも曲がっていいとのこと。人の少ないトロントだから出来ることではないだろうか? 東京でやったら・・・・それは恐ろしい。車で20分も走るとダウンタウンの西にある住宅街に着きました。なんとも素敵な街並みではありませんか!庭にリスも走っていましたし(^^)

入り口からノックもせずにパトリックは部屋に入っていきました。ドキドキしながら後を着いていくボク。「Hello!」 パトリックがそう声をあげると奥の部屋から「パトリック?」という声が聞えてきました。キッチンに入ると小柄な男性が2人いました。パトリックはボクより5cmくらい背が高いのですが、その2人はボクと同じか低いくらいでした。

パトリックは「やっとギタリストをみつけた」と師匠に告げ、ボクを紹介してくれました。その師匠はケニ―カークウッド。NOJO(カナダで有名なビッグバンド)のメンバーでした。まぁボクはまだ知りませんでしたが・・。簡単に自己紹介をして、ケニ―はパトリックとボクにインドのお茶のようなもの(今まで飲んだことがない味)を出してくれました。そのカップには漢字が書かれていました(後で意味を説明したけどさっぱり意味が分らないものでしたよ)。パトリックはケニ―にボクが日本人であること、Ed Bickertを探していることを告げ協力してくれないか?と頼んでくれました。 なんて優しい奴なんだと感動しました。ケニ―とパトリックの会話は早過ぎてボクにはあまり分りませんでしたが・・・。しばらくするとパスタを食べていたもう一人がボクに「今年の秋に福岡に行くんだよ、なにか有名なものはある?」と聞いてきました。残念ながら九州には行ったことがないので適当に「Noodle」なんて答えておきました。

お茶を飲むと早速レッスンをする為に地下のベースメントへ、そこには大型のモニターと機器。キーボードにバリトンとテナーサックスが置いてあり、傍らには釣り具入れのようなケースに日付ごとに分けられたサックスのリードが収納されていました。もうそれだけ見てもプロだと分りますが、ケニーはパトリックにオルタード・スケールを教えている様子。キーボードとテナーを使いながら「You don’t know what love is」を演奏してくれたのですが、本当に格好良かったです。

ボーっと見ているボクを見て「一緒に演奏しよう!」とギターをLine端子に繋いでいくれて、3人で演奏しました。彼のレッスンは音階を声に出して歌いながら体得させようというものでした。歌嫌いのボクは英語が分らないフリをしてその場をしのぎました。(苦笑)

1時間ほどのレッスンが終わるとケニ―はパトリックの為に譜面を書いていました。その時です!パトリックはケニ―に「シノブには素敵なオリジナル曲があるんだ!」と喋ってしまったんです。それはこのWEBサイトのタイトル曲、尾鷲からの贈り物です。 2人で練習している時に1度弾いて聴かせてあげたのを覚えていたらしい。この曲はパッと聴きJAZZではないので、ケニ―の前で演奏するのはとても恥ずかしいものでした。しかし、2人に促されソロで弾きました。それを聴いたケニ―はボクに2人の人物を紹介してくれました。マイケル・オッキュピンティ(NOJO)とデビッド・オッキュピンティという2人のギタリストです。どうやらEd Bickertは知らないようで・・・彼らに電話したら?と電話番号をくれました。

やまだ
電話・・・電話・・・電話・・・
電話だって!・・・出来ないよ

ボクはそう思いながらも、お礼を言い電話番号を受け取りました。さて、どうしよう。それからしばらくはこの2人のギタリストに連絡を取ることが出来ませんでした。 パトリックの家に着くと「明日は休みだから昼間に会おう」ということで別れました。翌日は久々に演奏をせずに2人で車に乗り込み遊びに行きました。地名は覚えていませんが、ブロア・ストリート・ウェストの少し北にある場所で、日本でいう麻布・青山といった感じの場所です。

フェニックスも今日は車に乗せ、一緒に街を散策です。やはり目立つのはいつも愛犬フェニックスでしたが、アイスクリームを食べながら街並みを楽しみました。クゥイーン・ストリートよりは少し落ち着いてる感じでした。 パトリックから「今から友達に会おう」と言って電話をかけ始めました。(携帯も持ってる)それを見たボクはパトリックはボッチャンなんだろうか?と考えてしまいました。しばらく街をブラブラして待ち合わせ場所に付くと中国系のポールと名乗る人物がきました。どうやら大学教授らしい。ポールの最初の一言は「彼が新しい友達かい?」なんかおかしな会話でした。いったいパトリックはボクのことを何て紹介しているのでしょうか?

 その後、3人で昼間っからビールを飲むことに、いやいやパトリックは酒は飲まないらしくポールが飲み始め、ボクも最初はオレンジ・ジュースを頼んだんですがポールに「ヘイ、カモン、シノブ!!カモ~ン」なんて言われては飲まないわけにはいきません。ポールと同じビールを飲むことに。 晴天の中、屋外で飲むビールは最高でしたよ。フェニックスは水を注文したらしく、おいしそうに飲んでたし(^^)ポールはしばらく日本にも住んでいたようで東京の町をよく知っていました。しかし日本語は分らないらしく、もっぱら紙面上での会話をしました。なにかっていうと書け書けって! まぁ、中国人との会話はこれでなりたつから不思議なものですね。パトリックも日本が好きだから盛り上がりましたよ。ビールは2杯目に突入・・・。

その勢いで 「北京ダックを食いにいこう!」ということになり、パトリックの車に3人で乗り込み出発。車で走るとトロントには色んな街並みがあるのがよくわかります。ゲイ・パレードのあるストリートはまだ分りますが、病院が何故あんなにかたまっているのでしょう。 もっと色々な場所にあった方が救急車も早く到着できるんじゃ?と思ったりもしました。(ー_ー)

・・・到着したのはパトリックのマンション・・フェニックスはお留守番らしいです。飲食店だから当然かも知れませんね。 車に乗り込み、高速に乗りました。こちらの高速はやっぱり広いです。山々の間を走っているところは日本もカナダも同じかも知れません。 高速でどんどん北上して1時間ほど行った場所にそのお店はありました。北京ダックをまるごと1匹・・・ちょっとグロテスクではありましたがかなりおいしかったです。ライスに小皿料理、ビール、それでもC$60ぐらいだった気がします。パトリックに奢ってもらったのでよく覚えていませんが(^^) おまけに残ったものを持ち帰り袋に入れてもらいました。(^^)何故、こんな遠い場所の北京ダックを食べに来たんだろうとは思いましたが、ポールの住んでいるマンションがこの近くだったんです。さすがは中国人!(かしこい)

帰りは高速を使わずにヤング・ストリートをずっと南下するだけでした。ヤング・ストリートはいったいどこまで続いているのでしょう?のんびりとマンションまで帰り、今日は演奏はせずにパトリックと別れました。そして毎夜同じようにタカのところに行って、土産バッグの中華料理をタカにあげました。 協力して生きてる感じがなんとなく好きになってきていました。ユースホステルでの生活もだんだんと楽しいものに感じ始めていました。しかし、ずっとユース生活でも残りの貯金を考えるとなんとか生活を変えなければいけないなぁ・・と思うのでした。 音楽が少しずつうまくいっているので、今はこれでもいいか!と安易に考えてユースの予約を更新していました。

翌日はレコーディングの顔合わせでドラマーの家に行くことになっています。次々と色んな出会いが・・・・。   

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